こうじ山古墳
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ニサンザイ古墳の前方部南西端近くにあった帆立貝形の前方後円墳。墳丘は全長50.5mで前方部を西に向け周濠もめぐっていました。ニサンザイ古墳の前方部南西端近くにあった前方後円墳で、墳丘は全長50.5m、...
指定なし
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該当するスポットが47件あります。
こうじ山古墳
ニサンザイ古墳の前方部南西端近くにあった帆立貝形の前方後円墳。墳丘は全長50.5mで前方部を西に向け周濠もめぐっていました。ニサンザイ古墳の前方部南西端近くにあった前方後円墳で、墳丘は全長50.5m、...
御坊山古墳
6世紀中心に築造された陶器千塚古墳群で主墳とされる全長30mの唯一の前方後円墳。古墳群に横穴式木芯粘土室という特異な埋葬施設をもつことから、陶邑窯跡群との密接な関連が指摘されています。陶器千塚(とうき...
鏡塚古墳
古絵図などからは帆立貝形古墳と考えられましたが、平成の発掘調査で周濠をもつ墳丘長径26mの円墳とわかりました。現状は径15m、高さ1.5m程の円墳状の墳丘が残っています。現状は径15m、高さ1.5m程...
孫太夫山古墳
仁徳天皇陵古墳に南接する全長約65mの前方部が短い帆立貝形の前方後円墳。同古墳の陪塚と考えられ周濠がめぐっていたようですが、今ある周濠と前方部の一部は試掘調査に基づき復元されたものです。仁徳天皇陵古墳...
大安寺山古墳
仁徳天皇陵古墳の後円部外側の第2堤上から三重濠に張り出す径62m、高さ9.7mの円墳。古墳名は古くは大安寺の所有地だったことに由来し、別名「寺山」と呼ばれていたようです。仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の後...
百舌鳥城ノ山古墳
全長約77mの前方後円墳。室町時代に城として利用されたこともあってか、昭和の破壊時点でも墳丘の形がひどく変えられていました。調査で後円部から竪穴式石室と各種の出土品、前方部から須恵器が見つかりました。...
いたすけ古墳
百舌鳥古墳群中央にある大きさ8番目の国指定史跡の前方後円墳。住宅造成で破壊されそうになったのを市民運動によって保存したことで、出土した冑の埴輪は市の文化財保護のシンボルマークになっています。百舌鳥古墳...
御廟表塚古墳
中百舌鳥町にある墳丘長約84.8mの前方後円墳。前方部がなくなり濠も後円部側の一部を残し埋め立てられ円墳のように見えますが、本来は帆立貝形古墳とも呼ばれる前方部が短い前方後円墳です。中百舌鳥町にある前...
天王古墳
反正天皇陵古墳東側にある円墳のように見える1辺11m程の方墳。同古墳の陪塚で濠がめぐらされていたと考えられています。反正天皇陵古墳(田出井山古墳)の東側にあり、その陪塚と考えられています。円墳のように...
七観山古墳(七観古墳)
履中天皇陵古墳の陪塚で後円部北側にあった径約50mの円墳。円筒埴輪・形象埴輪、多量の鉄製武器・武具類、鉄鏃・鉄斧・馬具、滑石製勾玉など多種多様の出土品は履中天皇陵古墳の年代考察の重要な資料となっていま...
樋の谷古墳
仁徳天皇陵古墳の三重濠西側面ほぼ中央の濠が膨れた部分にある径47mの不整形な古墳。濠を浚渫する時の土を盛ったものともいわれています。仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の三重濠の西側面、ほぼ中央の濠が膨れた部分...
みくにん広場
三国ヶ丘駅の屋上公園「みくにん広場」は、季節の木々や花々、芝生が皆様を迎え、眺望デッキからは仁徳天皇陵古墳を眺められます。また、トレインビュースポットからは行き交う電車を眺められるなど、皆様に楽しんで...
一本松古墳
仁徳天皇陵古墳の西に位置していた直径20m程の円墳。最近まで残っていた一部の墳丘も宅地造成で削平され、この時の緊急発掘調査で埴輪や須恵器、土師器が出土しています。仁徳天皇陵古墳の西200mに位置してい...
銅亀山古墳
2段築成がよく残り下段は南側が張り出し長方形を呈しています。仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の西南にあり、高さ5.4mの方墳で周濠の有無は不明です。古くは堂亀山とも記されていたようです。墳丘は高く、2段築成...
塚廻古墳
仁徳天皇陵古墳東側の3重濠と接した同古墳の陪塚。遺物や埴輪から5世紀中頃築造と考えられます。仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の東側にあり3重濠と接する位置にあることから、その陪塚の一つと考えられます。周濠は...
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