百舌鳥城ノ山古墳

全長約77mの前方後円墳。室町時代に城として利用されたこともあってか、昭和の破壊時点でも墳丘の形がひどく変えられていました。調査で後円部から竪穴式石室と各種の出土品、前方部から須恵器が見つかりました。

全長約77mの前方部を西に向けた前方後円墳で、室町時代に城として利用されたこともあってか、昭和26~29年(1951~1954年)に破壊された時点でも、ひどく墳丘の形が変えられていました。破壊される際の応急的な調査で、後円部で安山岩の割石を用いた竪穴式石室が検出されています。
石室は長さ6.7m、幅1.5mの細長いもので、内部から三面の銅鏡片、鞍金具、金銅製帯金具、盾金具、刀剣、鉄矛、鉄鏃、短甲、挂甲、勾玉、管玉、平玉、小玉が出土しています。また前方部から須恵器が出土しています。

※図1・2・3は下記文献より転載
森浩一2004「百舌鳥城ノ山古墳の調査」『堺市博物館報』第23号 堺市博物館

所在地

堺市北区百舌鳥西之町1丁

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