銅亀山古墳
履中天皇陵古墳の陪塚で後円部北側にあった径約50mの円墳。円筒埴輪・形象埴輪、多量の鉄製武器・武具類、鉄鏃・鉄斧・馬具、滑石製勾玉など多種多様の出土品は履中天皇陵古墳の年代考察の重要な資料となっています。
履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)の後円部北側にあった円墳で、その陪塚と考えられます。墳丘は径約50m、高さ約8mの二段築成で周濠もありました。葺石と埴輪があり、墳頂部には鰭付円筒埴輪をならべた埴輪列がめぐっていたようです。家・短甲・蓋(きぬがさ)・靱などの形象埴輪も出土しています。
出土した遺物は鉄製甲冑・鉄製素環頭太刀・鉄刀・蛇行状鉄剣・鉄剣・鉄鉾・鉄鏃・鉄斧・手斧・やりがんな・金銅製帯金具・馬具など多種多様で、ほかに滑石製勾玉や剣形鉄製品が採集されています。また衝角付冑7鉢、短甲6領以上、鉄刀130口前後、鉄鏃百数十本など多量の鉄製武器・武具類が特徴です。これらの出土品は履中天皇陵古墳の年代を考える重要な資料ともなっています。
所在地 |
堺市堺区旭ヶ丘中町4丁 |
---|---|
その他 |
写真は出土した金銅製金具 |
あなたは旧式のブラウザをご利用中です
このウェブサイトを快適に閲覧するにはブラウザをアップグレードしてください。