堺市役所21階展望ロビー
地上80メートルの高さから堺の魅力を360度チェック。仁徳天皇陵古墳、履中天皇陵古墳、反正天皇陵古墳をはじめ旧市内、堺旧港、大阪・神戸方面や関空など大阪湾一帯を一望できます。
また、市内各所の観光案内パネルもあります。
- 徒歩約14分(0.9km)
風情を感じる
堺の街並み
旅行会社のプロも、今一番注目する人気コースです。360度の眺望が楽しめる堺市役所21階展望ロビーをスタート。紀元前90年創建といわれる方角に関する災いを除けることで知られる方違神社、河口慧海ゆかりの町家歴史館清学院、鉄炮鍛冶屋敷をはじめとする北旅籠周辺の古い町並みや、堺の伝統産業・打刃物の老舗を訪問の後、江戸時代の堺の町家暮らしを見学できる町家歴史館山口家住宅を見学。与謝野晶子ゆかりの覚応寺、堺最大の木造建築である本願寺堺別院をへて、樹齢1100年といわれる大ソテツで有名な妙國寺、堺の伝統産業を一堂に集めた堺伝匠館を巡るコースです。
地上80メートルの高さから堺の魅力を360度チェック。仁徳天皇陵古墳、履中天皇陵古墳、反正天皇陵古墳をはじめ旧市内、堺旧港、大阪・神戸方面や関空など大阪湾一帯を一望できます。
また、市内各所の観光案内パネルもあります。
河内・和泉・摂津の3国の境に位置し、「どの方角にも属さない」神社として方角に関する災いを除けることで有名。紀元前90年創建とされ古くは後鳥羽天皇や平清盛、徳川家康、弘法大師空海なども祈願したと伝えられ、新築や転居などの厄除けで全国から多くの参詣客があります。
修験道の寺院としての歴史とともに、江戸後期から明治初期には寺子屋としても使われ、仏典を求めて日本人で初めてヒマラヤ山脈を越えた河口慧海もここで学びました。江戸後期の建物は国の登録有形文化財で不動堂、庫裏、門からなり、内部には寺子屋教科書や天神机や文机、小型の硯のほか慧海に関係する資料を展示。
江戸時代から続く鉄炮鍛冶井上関右衛門の作業場兼住居。わが国の町家建築として最古の部類に属し、鉄炮の生産現場など鉄炮鍛冶屋敷の面影を残す唯一のものとして市の指定有形文化財になっています。切妻造、平入りの建物からなる屋敷は、江戸初期の鉄炮鍛冶の生活がしのばれます。
昔ながらのふいごのある工場で古式鍛錬により日本刀や包丁を鍛える、明治5年創業の鍛冶屋。戦後まもなく行われた法隆寺の大改修の際に、「法隆寺の七不思議」の一つといわれる、国宝の五重塔の九輪の四方にあげられている、大きな魔よけ鎌を鍛造し奉納しました。その魔よけ鎌を店内で手に持つことができます。
主屋は慶長20年、大坂夏の陣で市街地が全焼した直後に建てられた、現存する数少ない江戸初期の町家のひとつ。国の重要文化財で、伝統的な堺の町家暮らしを感じることができる魅力溢れる施設です。広い土間に面して畳の部屋が3室並び、土間には梁(はり)と束・貫で構成する小屋組が見られ壮大な空間を作っています。
正中山覚応寺といい、覚如上人に帰依「覚応」と改名した伊予の豪族河野通元が建てた覚応坊が起源。住職河野鉄南は与謝野晶子と鉄幹をひきあわせた人で、境内に晶子の歌碑があり毎年5月29日の晶子の命日に白桜忌が開催されます。
市内最大の木造建築で「北の御坊」とも呼ばれ、現在の本堂は1825年の再建。明治4年の廃藩置県後10年間堺県庁として使用後、浄土真宗本願寺派へ返還され堺県庁跡として府指定の史跡となっています。鐘楼の梵鐘は1617年の銘をもち、大坂夏の陣で焼失した念仏寺のために堺奉行が再鋳、明治初期に堺別院に移されたもの。堺復興の記念碑的な資料、年代の明らかな市内最古の梵鐘として市の有形文化財に指定されています。
樹齢1100年を越す境内の大ソテツは、織田信長をも怖がらせた『夜泣きのソテツ』伝説で有名。堺で唯一天然記念物に指定され、二度の大火を免れたことから厄除け祈願でも人気です。幕末維新の堺事件では、ここで土佐十一烈士が切腹。数々の歴史と浪漫に彩られた寺です。
堺観光ガイドブック
堺観光ガイドマップ、百舌鳥古墳群エリアマップなどの堺の観光パンフレットは、観光パンフレットページにてダウンロードしていただけます。
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