食文化とその歴史

堺のうまいもん

堺には、あの美食家を唸らせた「あなご」、堺の伝統産業の一つである刃物づくりとも関わりの深い「昆布」、千利休が大成させた茶の湯文化の影響を受けた「和菓子」など、深い歴史があり、今も人々に愛され続ける『うまいもん』がたくさん。
そんな堺の食文化とその歴史をご紹介します。

あなご

日本が高度経済成長期以前、堺に臨海工業地帯ができる前まで、堺では多くのあなごが水揚げされていました。かの美食家で陶芸家の北大路魯山人も「あなごが美味いのは、堺近海が有名だ。焼くには堺近海がよく・・・」とエッセイに書いています。堺の出島にはあなご屋が軒を連ねた「あなご屋筋」が存在し、開きや焼きの加工をしたあなごを市場などに卸していました。
あなご料理は昭和3年に堺市が発行した旅行ガイドブック「堺市案内記」でも紹介されていますが、出島があなごで賑わった時代、堺のあなごは独特の風味があると、京都、大阪の料亭や寿司屋から引っ張りだこだったそうで、地元堺でもあなごづくしの料理を楽しませる高級料亭があり、京阪神から多くの客が訪れていました。また、各家庭料理でもよく用いられました。

昆布

江戸時代中期、北海道で採られた昆布が下関を経て堺へ通じる航路(コンブロード)が開かれ、堺の昆布加工業が本格的に発達。 その後、大正から昭和初期にかけ、堺は昆布の一大産地としての最盛期を迎えます。
上質の「とろろ」や「おぼろ」に加工するには、熟練した昆布職人の技と鋭い感性が必要です。 昆布を削る包丁の微妙な力加減により、機械ではできない風味豊かな味に仕上がります。加工に使われる専用の包丁は、古くから刃物づくりが行われてきた堺で作られたもの。堺の昆布加工業の発展は、堺の刃物づくりと深く関わりがあるのです。

和菓子

堺では千利休が大成させた茶の湯文化の影響を受け、 お茶請けとして供される和菓子づくりが行われてきました。また、かつて「東洋のベニス」と呼ばれる貿易都市であった堺では、砂糖など海外からの輸入が盛んだったこともあり、和菓子文化が発展したと考えられます。
抹茶と共に楽まれる煉り切りや干菓子、あんで餅をくるんだくるみ餅、ケシの実の風味が香ばしいけし餅などの和菓子が、今も堺の人々に親しまれています。

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