中世の堺は文化・技術の発信地

ものの始まりなんでも堺

大筒

日本最初の大筒(大砲)

慶長十四年(1609)、堺の鉄砲鍛治芝辻理右衛門は、徳川家康より鉄張りの大筒(昔の大砲)を造ることを命ぜられ、銃身3m、口径33~39cm、砲弾4.6kgの大筒を製造しました。これがわが国における大砲のはじまりです。

国道第一号

竹内街道(市内延長8キロメートル)

推古天皇の時代につくられた難波から飛鳥までの大道が、日本最古の官道といわれ、そのうち堺から飛鳥への道が「竹の内街道」と呼ばれました。

鉛丹

中国伝来の絵具または工芸用に使用するもので、十八世紀半ばこの製造をはじめて許されたのが堺の鉛屋市兵衛です。

朱座

漆器・朱肉の塗料として珍重された朱の製造所も、堺にはじめて設置されました。慶長十四年(1609)幕府は全国六ヶ所におき、堺の小田助四郎を朱座仲間年寄としました。

頼母子講

信者が寺を建てるのに、お金を月掛けしそれを複利法で増大させていくもので、発祥は室町時代の堺の紀州屋敷といわれています。

紙箱

明治二十五年ごろ、堺の柳川精英舎という会社が、ボール紙で袋のような紙箱を作ったのがはじまりで、線香・刃物など特産品の入れ物として使われました。

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