堺市周辺に人が定住し始めたのは旧石器時代のころ。市内の遺跡からは、約1万年前の打製石器や、縄文時代の土器・石器、弥生時代の銅鐸・土器などが発掘されています。4~5世紀には大和朝廷が成立しましたが、堺には仁徳天皇陵古墳をはじめ、100数基から成る百舌鳥古墳群が造られました。
平安時代、この地が摂津・河内・和泉の3国の境に位置しているところから「さかい」と呼ばれるようになりました。
鎌倉時代には漁港として発達し、その後西日本の海運の拠点として発展。
そして戦国時代、堺は貿易港として黄金の時代を迎えます。この時代、堺は、対明貿易や南蛮貿易など海外との交流拠点として発展しました。当時の堺は世界でも珍しい環濠都市を形成し、自治都市として繁栄しました。
明治以後、近代工業の発展、人口の増大、市域の拡大、交通の発達など、急速に近代化が進み、今日も力強い発展を続けています。
時代 | 西暦 | |
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旧石器 | - | 南花田遺跡で石器が多数出土 |
縄文 | - | 四ツ池・草部などの遺跡から縄文時代の石器・土器が出土 |
弥生 | - | 四ツ池遺跡から土器・竪穴住居跡などが出土 |
浜寺昭和町・下田町・高尾付近・家原寺町付近・陶器北付近から銅鐸が出土 | ||
古墳 | - | 仁徳天皇陵・履中天皇陵などの古墳が造られる |
陶邑(すえむら)で須恵器が盛んに作られる | ||
飛鳥・ | 藤原646年 | 堺は摂津と河内の国に属す |
704年 | 行基が家原寺を開く | |
奈良 | 740年 | 大鳥・和泉・日根郡を河内の国に合併 |
757年 | 大鳥・和泉・日根郡をもって和泉の国をおく | |
平安 | 935年 | 紀貫之の『土佐日記』に「いしづ」の名がみられる |
1045年 | この年までに藤原定頼の歌集に「さか井」の名がみられる | |
鎌倉 | - | このころ、桜井神社拝殿(国宝)ができる |
1325年 | 堺北荘、最勝光院領と記される | |
南北朝 | 1336年 | 堺北荘が住吉神社の領地となる |
室町 | 1399年 | 足利義満が堺の大内義弘を攻める 堺の民家一万戸が焼けたと伝える |
戦国 | 1476年 | 堺商人の遣明船が出発する |
- | このころ、会合衆が自治を行う | |
1550年 | 宣教師フランシスコ=ザビエルが堺に来る | |
1564年 | 宣教師ルイス=フロイスが堺に来る | |
安土桃山 | 1577年 | 織田信長、堺を視察する |
1586年 | 豊臣秀吉により環濠の堀が埋められる | |
1600年 | 徳川家康、堺に奉行所を置く オランダ船リーフデ号が堺に来る |
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江戸 | 1604年 | 堺商人の朱印船が許される |
1615年 | 大坂夏の陣で堺が焼かれる | |
1704年 | 新大和川が付けられる | |
1810年 | 堺港が造りかえられる(現堺旧港) | |
明治 | 1868年 | 堺県がおかれる |
1877年 | 大浜に木造洋式灯台が建てられる | |
-堺県- 堺県は合併を繰り返し、最も大きな時は、現在の大阪府東・南部と奈良県のほぼ全域を含む広さでした |
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1881年 | 堺県が大阪府に合併される | |
1885年 | 民間鉄道として初めて、阪堺鉄道(現南海線)の難波(大阪)-大和川間が開通する | |
1889年 | 市制施行・初の市会が宿院小学校で開かれる | |
1895年 | 摂津、河内、和泉の三つの国境に発達した都市という意味で、市の字を三つ組み合わせた市章が制定される | |
1903年 | 大浜に水族館ができる | |
大正 | 1912年 | 阪堺軌道(現阪堺線)が全通する |
1913年 | 大浜潮湯が開業し、少女歌劇でにぎわう | |
1922年 | 民間航空として初めて、堺-四国間の定期航空が始まる | |
昭和 | 1945年 | 空襲で市街の大半が焼ける |
1958年 | 臨海工業地帯の造成が始まる | |
1966年 | 泉北ニュータウン着工 | |
平成 | 1989年 | 市制100周年 オランダフェスティバル'89大阪(ダッハらんど)開催 |
1996年 | 中核市に移行する | |
2000年 | 世界民族芸能祭(ワッショイ!2000)開催 | |
2006年 | 政令指定都市に移行する |
堺市ホームページより
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