© 公益社団法人 堺観光コンベンション協会
高さ4メートル、総重量約2トン。
朱色の座布団を5段に重ねたような太鼓台は、その特徴から「ふとん太鼓」と呼ばれています。
威勢の良い「ベーラベーラベラショッショイ」の掛け声と太鼓の音が鳴り響く中、50~70人もの人がふとん太鼓を担ぎあげる。それは豊作や大漁を神様に感謝する神賑であり、堺の秋を彩るお祭りです。
ふとん太鼓といえば、逆ピラミッド状に積み上げた巨大なふとんが目を引きます。
これは庶民にとって綿入りの布団が貴重品だった江戸時代、神輿で御旅所(おたびしょ)に向かう神様が休憩する際に、氏子が寝具として布団を運んだのが由来とも言われています。太鼓台の座布団は「神様が座る場所」と言われるほか、「ふとん太鼓は鉾やだんじりと同じ山車(だし)であり、神様がお通りになる道をお祓い・お清めするもの」という説もあります。
堺では「ふとん太鼓」と呼ばれていますが、兵庫県では「屋台(やたい)」、淡路では「壇尻(だんじり)」、長崎県では「堺段尻(コッコデショ)」など地方によって名称はさまざまです。
「長崎県・堺段尻(コッコデショ)」 © NPTA
堺におけるふとん太鼓の歴史をひも解くと、1830年頃の三村宮(現在の開口神社)の祭礼絵馬に、神輿や鉾とともに太鼓台が描かれています。また、長崎県の「堺段尻(コッコデショ)」は、1799年に長崎県樺島町(かばしままち)の諏訪神社に奉納されたのがはじまりで、その起源は堺から伝わったとされています。これは、その背景に、長崎と堺の間で貿易品をはじめとする品々の流通があったことと、18世紀後半には堺にはふとん太鼓があったことを示唆しています。
これらから堺のふとん太鼓は江戸時代にはその原型があったと推測できます。
© 百舌鳥八幡宮秋祭運営協議会
明治の中頃まで、堺における祭礼時の曳行はだんじりや鉾が中心でした。しかし、明治29年に「堺の地車騒動」と呼ばれる事故が発生すると、だんじりの曳行が禁止になりました。
その後、日露戦争の勝利の奉祝により、ふとん太鼓の奉納が許可されたため、だんじりを処分・売却していた旧市内ではふとん太鼓へと切り替わっていきました。
戦前のふとん太鼓は、漁業、建築、鍛冶など職業仲間による「講(こう)」という集まりが所有していました。中でも旧市街を南北に二分する大小路通の北側にある菅原神社と、南側に位置する開口神社は、それぞれの地域の総鎮守として、さまざまな講による奉納が行われ、その規模は例祭よりも大きかったと伝わっています。その賑わいは今も変わらず、開口神社の八朔祭(はっさくさい)ではふとん太鼓を一目見ようと多くの見物客が訪れます。
また、百舌鳥八幡宮では月見祭(つきみさい)に合わせて、9町が五穀豊穣を願う大小2台のふとん太鼓を奉納しています。計18台ものふとん太鼓が集結する、泉州を代表する秋祭りとして親しまれています。
© Takanori Umino
百舌鳥八幡宮では仲秋の名月にあたる旧暦8月15日に月見祭を開催しており、ふとん太鼓の奉納行事もその前後の土・日曜日に行われます。
この地域のふとん太鼓といえば、その昔、各家ではわが町のふとん太鼓を見てもらおうとお客様をお招きしたため、家事を担う女性は神社での宮入・宮出を見れなかったという逸話が残っています。町の宝を披露したいという思いが強かったことを示す話です。
また、私が幼少の頃は、今のように組織的に運営されていなかったため、途中で担ぎ手が疲れ果て、中には投げ出してしまう人もいました。そのため、午後11時には自分たちの町に帰る予定が、夜明け近くまでかかってしまった…。今となっては笑い話であり、それもまた善き思い出です。
神社の祭礼には私たち神職が行う神事と、氏子さんたちによる神賑(かみにぎわい)があります。神賑は地域の皆さんで神様を喜ばせるもので、人と人、地域と神社のつながりです。百舌鳥八幡宮の宮入は、ふとん太鼓を担ぎながら神社の階段を、大勢の担ぎ手が勇壮に上がっていくところが見どころの一つ。他ではなかなか見られないふとん太鼓が、いつまでもすばらしい地域の神賑であってほしいと願います。
© 堺まつりふとん太鼓連合保存会
各地で呼び名が違うふとん太鼓は、大阪型、堺型、淡路型、貝塚型など形状による区別も存在します。
堺のふとん太鼓のすべてが堺型ではありませんが、堺型の特徴は、布団の下に小屋根があること。これはだんじりを手直しして作った名残とも言われています。他にも、上段になるほど布団の厚みが増していくところも特徴です。
ふとん太鼓には、台座部の彫り物や4つの大房などさまざまな装飾が施されています。装飾は町によって異なり、布団締めに金糸が使用される豪華絢爛なもの、布団の上に青い結びを使用した特徴的なふとん太鼓も存在します。
© 公益社団法人 堺観光コンベンション協会
そして、ふとん太鼓の見どころは、何と言っても一斉に担いで練り歩く勇壮華麗な姿にあります。多くの人が力を合わせて練り歩く、熱気に満ちあふれる勇姿には、携わる人々の熱い思いが集約されています。
担ぎ手の中心から聞こえてくるのは、太鼓の音と囃子歌(はやしうた)。太鼓台に乗った稚児(ちご)姿の子どもたちが、元気いっぱいに太鼓を叩きながら歌います。
石山の秋の月、月に叢雲 花に風
風の便りは阿波の島
縞の財布に五両十両
ごろごろ鳴るのはなんじゃいな
地震、雷、あと夕立
べーら、べーら、べらしょっしょい
© 公益社団法人 堺観光コンベンション協会
どの町もこの「石山の秋の月」を歌いますが、2番、3番の歌詞に自分たちの町名を入れるといったアレンジを施した氏子もあります。ちなみに「べーら」の語源は米良(=豊作)で、豊作を祈願する掛け声だと言われています。
ふとん太鼓の最大の見せ場は神社への宮入です。途中で何度も担ぎ手を入れ替えながら神社に到着すると、担ぎ手はここぞとばかりに呼吸を合わせ、手を伸ばして太鼓台を持ち上げる“イヤセ”を行います。複数の氏子が集まる神社では、それぞれが対抗心を燃やし、より華麗に見せようと全力を尽くします。
© Takanori Umino
息を合わせる、足並みが揃う、気持ちが1つになる。
その瞬間が訪れると、不思議なことにふとん太鼓が軽く持ち上がります。一方、同じメンバーでも息や足並みがバラバラだと、持ち上げることもままならない。長年、ふとん太鼓を担いでいますが、常々「ふとん太鼓は生き物」だと感じています。
また、“肩で担ぐ”と表現しますが、実際には首の真後ろが重要です。体の軸と一直線の部分で支えるのが担ぎ手の技術。体型や力だけでは担げないのがふとん太鼓なんです。ベテランともなれば首にコブができるので、「この人はふとん太鼓の担ぎ手」だと一目で分かりますよ。
ふとん太鼓を見に来られる機会があれば、担ぎ手の結束力に注目してください。私たちは一人ではどうにもならないものを、励まし合いながら一丸となって持ち上げています。そして、そこから生まれる熱気や、皆が1つになったときの感動をぜひ体験してください。
© 公益社団法人 堺観光コンベンション協会
9月初旬に行われる開口神社の八朔祭は600年以上続く祭礼で、4台のふとん太鼓が各地区から宮入する際は、大変な賑わいを見せます。そして、この八朔祭は堺のふとん太鼓の始まりであると同時に、泉州地域の秋祭りの先駆けでもあります。
各神社の秋祭りが終了すると、堺1600年の歴史・文化を広く発信する祭典「堺まつり」が行われます。始まりは昭和49年(1974年)で、堺のふとん太鼓は第1回から参加しています。
通常、祭りは氏子単位で行うため一堂に会するのが難しいとされていますが、堺のふとん太鼓の氏子は「堺まつりふとん太鼓連合保存会」を結成。この全国的にも珍しい氏子を超えた集まりのおかげで、堺まつりにはさまざまなふとん太鼓が集結します。
1台ずつ順番に宮入する秋祭りに対し、堺まつりでは複数のふとん太鼓が一気に動くほか、本来は一緒になるはずのない氏子同士の競演を見ることができます。ふとん太鼓のコラボレーションを楽しめるのが堺まつりならではの魅力です。
© Minoru Matsuura
ふとん太鼓には幅広い年代の人が関わっています。太鼓を叩く子どもたちにしてみれば、祖父のような年齢の人たちもいる。それらが一緒に参加し、ともに力を合わせる集まりは、現代ではとても貴重な場所です。ぜひ、これからも親子三代が集い、親や祖父から子へ文化を継承する祭りでありたいと思っています。
また、堺は一部の氏子がだんじりからふとん太鼓へと移行した歴史を持ち、その両者が共存する数少ない都市です。だんじりは長い距離を駆け抜け、ふとん太鼓は短い距離を練り歩くため、なかなか同時刻に同じ場所での共演は難しいですが、9月~10月中旬はふとん太鼓、10月はだんじりが各町で行われます。この2カ月は市内のどこかで祭りがありますので、ぜひ多くの人に訪れてもらいたいですね。見物客が多いと、私たちのモチベーションも上がります!
© Minoru Matsuura
戦前は12台のふとん太鼓が奉納されていましたが、その多くが戦災で失われてしまいました。しかし、ありがたいことに現在も4台のふとん太鼓が元気に宮入して、賑わいを見せてくれます。また、過去の資料を調べてみると、戦争以外にもさまざまな要因で途絶えてしまう危機があったようですが、その度に氏子の皆さんが協力して乗り越えられてこられたようです。「何のための祭りなのか」など、伝統に対する考え方も希薄になりつつある時代ですが、私はふとん太鼓が日本の心を後世に伝えるものであってほしいと期待しています。
私自身は奉納を受ける立場ですので、ふとん太鼓を担いだ経験はありません。しかし、鳥居から入ってくる様子を見ると「無事に宮入できたのは喜ばしいことだ」と、毎年のことにも関わらず感動します。太鼓の音、房の揺れ方、足の運びが1つになった光景は本当に美しい。その華麗な堺のふとん太鼓が、これからも末永く続きますように。
取材・執筆 : 近藤友博
撮影 : 松浦稔・海野貴典