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だんじりとは、100点近くの彫刻が施された豪華な地車を曳行し、地域の神社へ豊作や豊漁を祈願するお祭り。
大阪・関西を中心に、瀬戸内海沿岸から九州にいたる西日本で伝わる伝統行事です。
堺においても10月を迎えると、市内各地の神社の秋祭りとして、その勇壮な姿を披露してくれます。
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だんじりの魅力は、巨大な地車を勢いよく曳行するところにあります。
特にスピードに乗った地車が直角に曲がる「やりまわし」は見どころの一つ。ひるむことなく突き進む様子は豪快の一言に尽きます。
地車にはエンジンもなければ、ハンドルもありません。動力も制御もすべて人力。重さ4トンもの地車を曳行するには、曳き手、指示役、かじ取り役などすべての人々が連携しなければなりません。
© 深井連合地車運営委員会
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90度旋回するやりまわしでは、まず前梃子がコマに梃子をかませます。
それとほぼ同時に、小屋根からの指示を聞いた後梃子が、かじ取り梃子から出ている綱(どんす)などを使いながら、進行方向に体重をかけていきます。
スピードに乗った地車が旋回すると、後梃子や綱元には大きな負荷がかかります。後梃子は遠心力に耐え切れず吹き飛ばされることも。一方、綱元はすぐ後ろに地車があるため、転倒しても綱から手を放してはいけません。熟練者が綱元を担当する理由がここにもあります。
やりまわしには大変な危険が伴います。しかし、人々が力を合わせて制御して駆け抜けるからこそ、周囲に美しさや感動を与えると言えます。
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だんじりの曳行は、おそらく皆さんが思っているほど簡単ではありません。
地車はひねりの力が加わるとすぐに転倒してしまう代物。また癖があるために、まっすぐ走らせるだけでも大変なんです。そんな精細な地車の上で大工方は舞い、かじ取り役の梃子は必死にタイミングを合わせています。やりまわしでは、綱先から後梃子まで全員がピリピリとした、すごい緊張感が漂います。だからこそ、大勢の人の前をさっそうと駆け抜けたときは、何物にも代えがたい達成感を得られます。
私たちの町では、曳き手、大工方と役割ごとに分かれて練習を重ね、歴代の先輩から「どうやって舵をとるのか」「梃子への指示の出し方」などの曳行技術を継承しています。それは祭りを成功させるためですが、年が離れた先輩・後輩との交流は、地域のつながりにもなっていると感じています。
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堺のだんじりの特徴は、夜の曳行です。
岸和田でも夜間曳行は行われていますが、堺では夜間でも勢いよく曳くのが大きな違いです。
中でも鳳本通商店街を駆け抜ける鳳の夜間曳行は、毎年多くの人で賑わいます。少しでも進行方向を誤ると、地車が商店街のシャッターと接触してしまう狭いアーケード内を、勇猛果敢に走る“北進一発”は必見です。ただし、商店街の中は危ないため、アーケードを抜けたJR鳳駅周辺か、あるいは商店街を横切る枝道にて観覧してください。
堺のだんじりは10月初旬から下旬にかけて行われます。
豪快なやりまわし、華やかな夜間曳行、そして地車の芸術的な彫り物など、多くの魅力があります。ぜひ、さまざまな視点で、堺のだんじりをお楽しみください。
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だんじりのもう1つの魅力は彫刻です。1台につき数百もの彫刻が施されている地車を、走る芸術品と表現する人もいます。
見どころは地車の正面最下段にある土呂幕(どろまく)。
三層張りや五層張りで奥行きを演出した彫り物で、日本各地の神話や源平合戦などの歴史物語、さらには織田信長や豊臣秀吉などの戦国武将を題材とした彫り物が施されています。
彫刻は地車ごとに違うため、1つ1つを見て回るとさながら歴史絵巻をめぐるような楽しさがあります。
この土呂幕の良しあしが地車の価値を決めると言われており、新調する際は100年先もわが町の誇りにできるよう、町や彫師が最も力を入れる部分です。
土呂幕の製作は題材選びから始まります。
最近はインターネットでさまざまな資料が手に入るため「この合戦での織田信長の兜はこの形だった」など、以前よりもリアルな彫り物を制作できるようになりました。
物語が決まれば、彫師は木板に絵を描きます。この段階で彫師は、木の厚みと空間を捉え、どこをどう彫れば良いかイメージしなくてはいけません。
難易度は物語によって異なり、想像できないときは木板とのにらめっこが2・3日続くことも。この作業はアーティストの分野と言えます。
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彫る作業は職人の領域。無駄な部分をそぎ落し、木板の中に隠れている作品を取り出す感覚なのだそうです。何層張りを作るかにもよりますが、作業期間は概ね3カ月。すべてハンドメイドの手間暇かけた仕事です。
彫師の芸術的感性と匠の技が詰まった地車の彫刻。だんじり祭りには、日本文化と伝統技術を継承していく側面も備わっているのです。
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「だんじりは事故もあるし、怖いお祭りでしょ?」。
そう話す人によく出会います。
しかし、私は彫師として「だんじりは素晴らしい芸術品を曳いているお祭りなんですよ。しかも一つとして同じものはなく、そのどれもが町の皆さんの誇りなんです」という芸術的な視点で説明します。すると、多くの人が興味を持ってくれます。そのたびに、だんじりはとても優れた観光コンテンツなのだと感じます。
だんじりには欄間や透かし彫りなどさまざまな技術が使われており、「だんじりを1台作ると、日本の彫刻の仕事は網羅できる」と言われています。130種類もの道具を使い分け、無から有を生み出す。そこには芸術と職人技が詰まっていますので、お祭りに行く機会があれば、ぜひ地車を近くで見てください。特にじっくり見たい人は、曳行の休憩時間がおすすめです。法被を着た関係者が多く、近寄りがたい雰囲気を感じるかもしれませんが、実はそんなことはありません。彼らもわが町の自慢を見てほしいと思っています。
堺で生まれ育ち、彫師として今も堺のだんじりに関わり続ける一人として、これからも多くの人に堺のだんじりの魅力を知ってもらいたいと願っています。
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堺のだんじりの起源は不詳ですが、全国約2,300社の住吉神社の総本宮である、住吉大社の夏越祓(なごしのはらい)が関係しているという説があります。
かつての堺は住吉大社の社領で、開口神社(あぐちじんじゃ)は住吉大社の奥の院とされるなど、強い結びつきがありました。江戸時代、住吉大社の夏越祓が大変な盛り上がりを見せると、元禄元年(1688年)に開口神社の氏子有志が南小路鉾を製作。ほぼ同時期にだんじりも登場したと言われています。
江戸時代の堺はものづくりにたけた職人が多く住む工業都市の色合いが濃く、鍛冶や建築に携わる職人も多くいました。そうした歴史背景からも、堺で高度な技術が必要なだんじりが誕生したのは、必然だったのかもしれません。
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時代とともに堺のだんじりは変化しています。
その昔、堺のだんじりといえば、堺型、大阪型、住吉型、神戸型など十数種類に分類できる上だんじり(かみだんじり)が主流でした。これは屋根の上でにらみを利かす「獅子噛(ししがみ)」や大きな彫り物が特徴の型です。しかし、現在はやりまわしをしやすい岸和田型の下だんじり(しもだんじり)が増えてきました。地車自体が昔と比べて大型化しているのも、岸和田の影響かと思います。
変わっていくことに対して、さまざまな意見があるでしょうが、私はその時代に合った楽しみ方ができれば良いと考えています。それはふとん太鼓に対しても同じで、「どちらが良い」ではなく「どちらも良い」のだと。神様へ感謝するとともに、自分たちも祭りを楽しむ精神は同じです。
私がこのように考えるのは、子どもの頃にわが町のだんじりが途絶えてしまった記憶があるからです。同じ学校に通う友人の町では、彼らが誇る地車が走っている。それは憧れの光景でした。やがて大人になり、私たちは青年団を再結成。だんじりを復活させました。あのときの喜びは今も忘れられません。
だんじりは観光化し、見せるお祭りへと変化しています。しかし、それで良いのです。大切なのは奉納する思いを継承すること。いつまでも自分たちと、そして見に来てくれた人たちが楽しめる祭りであってほしいですね。
取材・執筆 : 近藤友博
撮影 : 松浦稔・海野貴典