菅原神社

堺の浜に漂着した菅原道真自作の木像を祀ったのが始まりとされ、天神さんと呼ばれ親しまれています。

菅原神社

堺市堺区戎之町東2丁-1-38
TEL:072-232-2450 
FAX:072-221-6215
URL:http://www.sakaitenjin.or.jp/
営業時間:拝観自由
社殿開扉時間:午前6時30分~午後5時(社務所は午前9時から)
入場料:拝観無料
アクセス:南海線「堺駅」または南海高野線「堺東駅」から徒歩10分
      阪堺線「大小路駅」から徒歩3分
      南海シャトルバス「大寺北門山之口前バス停」から徒歩3分
駐車場:なし(付近にコインパーキングあり)

今から千年以上前、摂津の国北の庄、海船の濱に一体の木像が流れ着きました。菅原道真公が配流された大宰府の地で自ら彫った木像のひとつでした。当時の氏神であった天台宗威徳山常楽寺の僧が長徳3年(997年)寺内に天神社を創建。その像をご神体として祀ったことが菅原神社の始まりです。
明治維新の「神仏分離」により明治5年(1872年)、天神社から菅原神社に名称が変わりました。昭和20年の堺空襲により楼門(随身門)と金比羅宮以外の建物が焼失。その後、菅原神社は焼失を逃れた金毘羅宮を仮殿して使われています。
修復保存された楼門(随身門)は、昭和41年大阪府の有形文化財に指定されました。楼門には堺の武将小西行長が朝鮮から持ち帰って奉納したという傘松の大木の幹も保存されています。
常楽殿の裏手に広がる庭園には茶室「紅梅軒」、千利休の師・武野紹鷗が愛用したと伝えられる「椿の井戸」があります。

「元禄二年 堺大絵図」では北の天神、南の開口・・・明治になり、天神社から菅原神社に・・・

西長徳3年(997年)創建された天神社は、道真公信仰に支えられていましたが1532年の大火で焼失。再建後は敷地・規模を拡大、本社・大梵天堂・観音堂など神道と仏教の建物が共存していたことがうかがえます。
大坂夏の陣でまたも焼失、1652年の菅神750年祭翌年に再建。「元禄二年 堺大絵図」では「北の天神、南の開口」と呼ばれ、堺の町を東西に貫く大小路通の北は天神社、南は開口神社がそれぞれ氏神とされていました。
神仏分離により天神社は大梵天社などを廃絶。菅原神社と名称を改め明治40年に宿屋町の薬祖神社、翌年に事代主神社、神明町の神明神社、泉北郡の附島神社、熊野町の熊野神社を境内に、戎之町の事代主神社を飛地境内地の戎島の恵比寿神社に遷し祀ります。
昭和20年の空襲で大半の建物や宝物が焼失。昭和26年に菅原神社(本殿・拝殿)と戎神社、昭和30年に薬祖神社が再建されました。
本殿は屋根の片側が前方に延び長い庇の「流造り」で、道真公自作のご神体が鎮座しています。金毘羅宮を移築して建てられた拝殿の瓦には、それを示す「丸の中に金の字」が刻まれています。
ご祭神の菅原道真公は天満天神、学問の神、文化の神。天穂日命(あめのほひのみこと)は地上平定の功績により国土開発や産業振興の守護神として信仰され、野見宿禰(のみのすくね)は相撲の神、相撲の祖と呼ばれています。

本殿

拝殿


大阪府指定有形文化財の楼門(随身門)

室町時代に建立されたびたび火災にあいましたが、延宝5年(1677年)堺の鉄砲鍛冶・榎並屋勘左衛門の寄進によって、仁王門が造営されるなど再興・修復されました。
建物の特徴のひとつは軒を支える複雑な組物に、彫刻を刻んだ絵様肘木(えようひじき)という肘の形をした組物を用い建築技法を簡略化していることです。門の左右には剣と矢を帯びた高さ1.5mの檜造りの坐像・随身像が神社を護っています。
大阪府下では数少ない楼門建築として大変貴重で、昭和41年大阪府指定有形文化財となりました。
秀吉に仕えた水軍の武将で、天下統一や朝鮮出兵で重要な役割を担ったにもかかわらず、これまで関ヶ原の敗戦の将、キリシタン大名として歴史のベールに包まれてきた堺の武将・小西行長。楼門には、彼が朝鮮半島から持ち帰ったとされる「傘松の幹」が保存されています。


庭園には茶室「紅梅軒」、武野紹鷗ゆかりの「椿の井戸」が・・・

茶室「紅梅軒」は慶安年間(1648~1651年)に建立。中世の堺に多くあった「市中の山居」の流れをくむ形式で、豊臣秀吉から贈られた八重咲きの摩耶紅梅にちなんで命名されました。
庭園には千利休の師、武野紹鷗が愛用したと伝えられる「椿の井戸」があります。(茶室・井戸は特別公開時のみ見学可)
現在もホタルの育成に用いられ、毎年6月中旬のホタル鑑賞会ではゲンジボタルやヘイケボタルの光の乱舞が見られます。


泉南一の名泉と伝えられた金龍井に伝説が・・・

神社の守護、魔除けのために置かれている拝殿前の「狛犬」、江戸末期~明治中期の石柱「奇縁冰人石(きえんひょうじんせき)」は、いわば江戸・明治時代における伝言板です。

道真公ゆかりの大理石と御影石で作られた2頭の「神牛」、威徳山常楽寺にちなんで命名された寄棟屋根に切妻屋根を重ねた錣(しころ)造りの「常楽殿」。

平成13年に再建された「稲荷神社」、櫛屋町に石門心学の塾「庸行舎」が開講したことを記念して建立され、その後境内に移設された「石田梅岩先生像」。
堺市指定保存樹木の「くすの木」などが必見です。


南大坂随一の「えべっさん」堺戎神社

ご祭神の事代主命(ことしろぬしのみこと)は大国主命の子どもで七福神の一人。豊漁・豊作・商売繁盛の神で「えべっさん」の愛称で親しまれています。
1666年に現在の戎島町に創建。昭和26年に境内に遷された堺戎神社で、毎年1月9~11日に行われる「戎祭」は南大阪有数の賑わいを見せます。


戎祭


そのほかにも数々の見どころが・・・

ご祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)と神農大神(しんのうおおかみ)。少彦名命は童話「一寸法師」のモデルといわれ医業・酒造の神、神農大神は古代中国の伝説上の王で、医薬の基礎を作ったことから薬祖神として知られています。
応永4年(1397年)創建され明治40年菅原神社に合祀。 昭和20年の空襲で焼失、同30年神明造りの本殿・拝殿を造営しました。日本最古の薬祖神社といわれ、近年は癌封じの神様として多くの参拝客が訪れます。

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