堺を巡る おすすめモデルコース#2方角に関する厄除けなら、三国丘に建つ「どの方角にも属さない神社」方違神社

方違神社
方違神社
堺市堺区北三国ヶ丘町2丁2-1
TEL:072-232-1216
URL:http://www.hochigai-jinja.or.jp/
営業時間:拝観自由
祈祷休日:毎月9日・19日・29日(土曜・日曜・祝日・大安を除く)
受付時間:午前9時~午後4時まで
入場料:拝観無料
アクセス:南海高野線「堺東駅」下車
駐車場:境内約35台

方角に関する災いを防ぐ、「どの方角にも属さない神社」

古くは、遠方へ出かける際、その方向が良くないときは、一度別方向に向かってから出かける風習「方違えかたたがえ」がありました。

方角の厄を取り除き、神様のご加護を受けられるとして親しまれてきたのが「どの方角にも属さない」方違神社ほうちがいじんじゃです。

摂津・河内・和泉の3国の国境である三国丘みくにがおかに位置したことから、東西南北すべての方位を消滅させる場所とされ、ここに参拝すれば三国の土を踏む、つまり方違えを行ったことと同じ意味を持っていたのです。このようにして方違神社は方角によって陥る人々の不安を解決してきました。

後鳥羽天皇など歴代天皇や、平清盛、徳川家康、弘法大師空海など歴史上の人物も祈願したと伝わり、科学万能の現代も方角に関する災いを防ぐ厄除け神社として、新築・転居などにあたって多くの参拝客が訪れます。

方違神社本殿風景

「ほうちがいさん」とも呼ばれ親しまれている

万葉集の歌文の碑

「三国山 こずえに住まふ むささびの 鳥まつがごと われ待ち痩せむ」と記された門前の万葉歌碑


古から伝わる方災除けのお守りは、神社の埴土をマコモの葉で包んだ粽

創建は古く、神話の時代までさかのぼります。紀元前90年に、崇神天皇すじんてんのうがスサノオノミコトを祀ったことに始まります。時を経て、神功皇后じんぐうこうごうが朝鮮半島の百済との戦いにあたって、方災除を祈り賊軍を鎮圧したほか、現在の住吉大神を建てる時にも方違えの祓いを行ったと伝わります。そのときに皇后が神社の埴土はにつちこもの葉に包み、粽として祀りました。以後この粽を持てば、方位における災いをのがれることができるとされるようになりました。

「粽祭」は、年間を通して授与する粽をご神前に奉る珍しい神事として、毎年5月31日に執り行われます。粽で思い浮かぶのが端午の節句。これは中国の故事に由来し邪気除けとしていただくものですが、方違神社の粽は、お守りとしての役割を果たします。神様の守護のもと、方災からのがれるという訳なのです。

粽

マコモの葉に埴土はにつちを包んだちまき。すべて手づくりのため奉製量も少なく、普段の祈願時は紙の粽が授与されている

粽アップ

方災除けのもうひとつのお守り、神功皇后ゆかりの「幸雞の鈴」 

方違神社を参拝すると見かけるのが、素焼きのかわいい鶏の鈴。「幸雞さちがけの鈴」と呼ばれるもので、神功皇后が方違えの祓いを行った時、日ごろ大切にしていた黄金の小雞しょうけいを丘に埋めました。以後、金鈴を振るような声が暁を破って高らかに響くようになったと伝えられています。神社境内の土を練りこんだ土鈴は、方違えのもうひとつのお守りとして、祈願に訪れた人が大切に持ち帰ります。

幸雞の鈴

神社の土を練りこんだ素焼きの愛らしい鈴(2種類)


方違神社権禰宜 神山憲一さんからのメッセージ「方違え」の風習を広める役割をも果たしてきたのが方違神社。方角の災いへの不安を解消し、引越しや転居などの転機を迎えてほしい 

「方違え」の風習は陰陽道に基づいて平安時代以降に行われていたものです。当時は貴族など上流階級にしか知られることがなかった風習でしょう。そういった人々が方違神社に参拝することで、この風習が民衆にまで広まっていったのではないでしょうか。数千年ものあいだ同じ信仰のもとで、あまたの人々の不安を解消してきたのは、神仏や風習と疎遠になりつつあると言われる今日でも変わりません。それはやはり創建や由緒ともつながりのある「方角のない」地のもつ意味の大きさによるものだと思います。当社に参拝していただくことで、転機を平安に迎えていただくことができれば何よりです。

三国丘の石碑

境内にある三國丘の石碑。「堺」の地名は摂津・河内・和泉の三国の境にあることに由来する

※掲載情報は、取材時点のものです。現在の情報については、直接お問い合わせ下さい。

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